パデルはスペイン発祥のスポーツで、2013年に日本に入ってきたスポーツだ。
玉井さんは当初からパデルのことは知りつつも、実際に初めてプレーをしたのは2年後のゴールデンウィークだった。
はじめは友人に紹介されてパデルとアサードのイベントに参加したのだが、その時の興味はパデルそのものではなく、アサードだったという。
アサードとは南米の焼肉のことであり、そのイベントではお酒とお肉を嗜みながらスポーツをするということに興味を惹かれた。
実際にイベントに参加すると、パデルのスポーツとしての面白さや飲食とセットでプレーできる柔軟さに衝撃を受けた。
元々テニスプレイヤーだった玉井さんはパデルにテニスとの類似性を見出しつつも、テニスではなかなかできないことができるスポーツだとも語る。
テニスは走る距離が長く、とても飲食をしながらできるスポーツではないが、パデルは小さなコートでダブルスで行うので、4歩あれば守備範囲をカバーできると言われている。
そのため、アサードとのセットで行ったりと、従来のスポーツでは考えられないようなことも楽しめる。
玉井さんは当初からパデルのことは知りつつも、実際に初めてプレーをしたのは2年後のゴールデンウィークだった。
はじめは友人に紹介されてパデルとアサードのイベントに参加したのだが、その時の興味はパデルそのものではなく、アサードだったという。
アサードとは南米の焼肉のことであり、そのイベントではお酒とお肉を嗜みながらスポーツをするということに興味を惹かれた。
実際にイベントに参加すると、パデルのスポーツとしての面白さや飲食とセットでプレーできる柔軟さに衝撃を受けた。
元々テニスプレイヤーだった玉井さんはパデルにテニスとの類似性を見出しつつも、テニスではなかなかできないことができるスポーツだとも語る。
テニスは走る距離が長く、とても飲食をしながらできるスポーツではないが、パデルは小さなコートでダブルスで行うので、4歩あれば守備範囲をカバーできると言われている。
そのため、アサードとのセットで行ったりと、従来のスポーツでは考えられないようなことも楽しめる。
タイミングだった。26歳からIT事業を始め、仕事にも仲間にも恵まれて充実してきたが、心の中ではテニスの事業をやりたいという気持ちがずっとあった。
その気持ちを抱えたまま40歳という節目の歳にパデルと出会った。
以前経営していた会社の理念は「ITを使って笑顔を作っていく」であり、パデルというスポーツは本当に人を笑顔に出来るということを感じ、会社を離れパデルで人々に笑顔を届けることを選んだ。
これまでの活動は全てが順調というわけではなかったが、玉井さんのパデルにかける想いはたくさんの人の共感を生んでいる。
施設を一から作るにあたって、テニスクラブやフットサルコートに何度も営業に行った。
しかし、なかなか契約が取れず直前まで契約の方向で話が進んでいた土地オーナーとの契約もなくなった。
そんな中、現在パデル東京のある善福寺公園テニスクラブの野田支配人と出会い、玉井さんの熱烈アプローチが実りコート設立が実現した。
コートの設立資金はクラウドファンディングで募ることに。
もともと成し遂げたいゴールの設定が明確にあり、クラウドファンディングは物語を紡げるので、自分に向いていると感じていた。
「支援してくれたみなさんに『ここは俺のコートだ』と言って欲しいんです。」と語るようにパデル東京の1番コートはクラウドファンディングで支援をしたパトロンの名前が刻まれている。
その気持ちを抱えたまま40歳という節目の歳にパデルと出会った。
以前経営していた会社の理念は「ITを使って笑顔を作っていく」であり、パデルというスポーツは本当に人を笑顔に出来るということを感じ、会社を離れパデルで人々に笑顔を届けることを選んだ。
これまでの活動は全てが順調というわけではなかったが、玉井さんのパデルにかける想いはたくさんの人の共感を生んでいる。
施設を一から作るにあたって、テニスクラブやフットサルコートに何度も営業に行った。
しかし、なかなか契約が取れず直前まで契約の方向で話が進んでいた土地オーナーとの契約もなくなった。
そんな中、現在パデル東京のある善福寺公園テニスクラブの野田支配人と出会い、玉井さんの熱烈アプローチが実りコート設立が実現した。
コートの設立資金はクラウドファンディングで募ることに。
もともと成し遂げたいゴールの設定が明確にあり、クラウドファンディングは物語を紡げるので、自分に向いていると感じていた。
「支援してくれたみなさんに『ここは俺のコートだ』と言って欲しいんです。」と語るようにパデル東京の1番コートはクラウドファンディングで支援をしたパトロンの名前が刻まれている。
パデル東京には毎日様々な人が訪れる。
「今日の午前中はスペイン人しかいませんでした。」と語るように都内でパデルができる場所はパデル東京のみなので、本場スペインからの観光客や、他のスポーツの日本代表選手が訪れたり、子供を連れて家族で来る人もいるという。
とある会社ではパデル部ができ、頻繁に練習をしに訪れている。
「パデルはコミュニケーションスポーツ」と語るように玉井さんはパデルをやりにきた人とのコミュニケーションを欠かさない。
人が同じことをやって騒いで、コミュニケーションを取れるところは日本に元来ある、人と触れ合うことに感化することができるのだ。
コーチは玉井さんを含め3人で始めたが、ある日、玉井さんの活動を知ったスペインのプロのコーチから直接連絡が来て2017年の3月からコーチとして加わることになった。
今後は初めての人から上級者まで教えられるようになり、さらに活動の幅を広げる。
玉井さんの活動はすでに国境を越えて本場スペインでも注目を集めている。
なんとスペイン大使館から声がかかり、スペイン・スポーツ産業協会からスペインに招待されたのだ。
そこでパデルの現地での盛り上がりを肌で感じ、その熱狂を持ち帰ってきた。
「今日の午前中はスペイン人しかいませんでした。」と語るように都内でパデルができる場所はパデル東京のみなので、本場スペインからの観光客や、他のスポーツの日本代表選手が訪れたり、子供を連れて家族で来る人もいるという。
とある会社ではパデル部ができ、頻繁に練習をしに訪れている。
「パデルはコミュニケーションスポーツ」と語るように玉井さんはパデルをやりにきた人とのコミュニケーションを欠かさない。
人が同じことをやって騒いで、コミュニケーションを取れるところは日本に元来ある、人と触れ合うことに感化することができるのだ。
コーチは玉井さんを含め3人で始めたが、ある日、玉井さんの活動を知ったスペインのプロのコーチから直接連絡が来て2017年の3月からコーチとして加わることになった。
今後は初めての人から上級者まで教えられるようになり、さらに活動の幅を広げる。
玉井さんの活動はすでに国境を越えて本場スペインでも注目を集めている。
なんとスペイン大使館から声がかかり、スペイン・スポーツ産業協会からスペインに招待されたのだ。
そこでパデルの現地での盛り上がりを肌で感じ、その熱狂を持ち帰ってきた。
「パデルはコミュニケーションスポーツなので、競技思考だけでない面白さがあります友達や家族、会社の人と一緒に楽しんでもらいたいです。」
人の絆を作り、強くすることができ、笑顔が生まれる。
今後益々注目され、盛り上がるであろうスポーツ。
終始笑顔で接してくれる玉井さんのもとでパデルを始めてみてはどうだろうか。
人の絆を作り、強くすることができ、笑顔が生まれる。
今後益々注目され、盛り上がるであろうスポーツ。
終始笑顔で接してくれる玉井さんのもとでパデルを始めてみてはどうだろうか。
【 Profile 】
1975年3月生まれ。26歳でWeb制作開発・人材派遣を手掛ける株式会社SORAを創業。高校からはじめたテニスをこよなく愛し、SNSでは5万人超のテニス好きを集めるコミュニティを運営。
2015年スペイン発祥のラケットスポーツ「パデル」と出会い、その魅力にドはまり。人生の転機を迎える。パデルを日本・アジアに普及することを決意し、14年間経営してきたSORAの代表取締役を退任、株式会社Padel Asiaを設立。パデルで多くの人を笑顔にすることがPadel Asiaの目標。
1975年3月生まれ。26歳でWeb制作開発・人材派遣を手掛ける株式会社SORAを創業。高校からはじめたテニスをこよなく愛し、SNSでは5万人超のテニス好きを集めるコミュニティを運営。
2015年スペイン発祥のラケットスポーツ「パデル」と出会い、その魅力にドはまり。人生の転機を迎える。パデルを日本・アジアに普及することを決意し、14年間経営してきたSORAの代表取締役を退任、株式会社Padel Asiaを設立。パデルで多くの人を笑顔にすることがPadel Asiaの目標。
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ブログ:40代を本気で生きてみる
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