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町工場が世界に挑む! - 下町ボブスレー、オリンピックへの挑戦 -

4代目として大田区の小さな町工場を営む髙橋俊樹さん。彼は町工場の社長でありながら、世界へ挑戦し続ける職人だ。大田区の町工場の技術を集結し、オリンピックのメダル獲得を目指す下町ボブスレー。そんな前人未到の挑戦を続けられるパワーの源とは。職人の熱い想いに迫った。

下町ボブスレー。
髙橋さんたちが無償で行っているプロジェクトだ。

ボブスレーは冬季五輪の競技種目であり、試合のほとんどがヨーロッパ・アメリカで行われる、欧米で人気のスポーツだ。

国内でも年に1回日本選手権が開かれる。
しかし、日本におけるボブスレー競技の環境は厳しく、ほとんどの選手が海外製の中古のソリを使用していた。

そこで大田区の中小町工場が中心となり、国産のボブスレーマシンでオリンピックを目指そうという活動が始まった。

きっかけは東日本大震災だった。
震災直後、何とか地域の人を元気づけたい、と大田区職員から提案があった。

なおかつ大田区の町工場の技術を生かす。

そこでボブスレーという案が浮上した。ボブスレーは道具の役割が大きいうえ金属部品を多用するため、自分たちの技術でオリンピックを目指せるのではないかという希望。

ボブスレーの知識も競技団体とのコネクションも全くない、0の状態からプロジェクトは始まった。

海外ではBMWなどの大手自動車メーカーがボブスレーマシンを作っている。

一方、大田区の町工場はそれぞれが専門的に特化した技術を持っている。技術には自信があった。

「国内の町工場の集積地ではいろんな開発を行っているんですよ。東大阪は宇宙(ロケット)、江戸川は海(無人探査機)。じゃあ自分たちは山でいこうかって。大田区の町工場の技術で世界の自動車メーカーをやっつけてやる!そんな気持ちでしたね。」
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このプロジェクトでは大手企業のスポンサー協力が欠かせない。

ボブスレーは開発以外の面でも莫大な費用がかかる。

試合会場にボブスレーマシンを送るだけでも100万円もの費用がかかるという。

さらに非常に多くの企業から金銭以外にも、材料や技術なども提供してもらっている。

スポンサーは純粋に応援したいという気持ちから無償で提供を行っている。

ボブスレーの開発はレーシングマシンメーカーの童夢・カーボンマジック(現:東レ・カーボンマジック)の協力を得た。

約200種類あるパーツの図面の中から、町工場ごとにやりたいものを取っていき、担当したパーツを持ち寄り、ボブスレーマシンを完成させる。

髙橋さんの場合、部品作成は一人で行っているが、無償で部品作成などを行うため難しいものが残る傾向にある。中には難しい部分で技術力をアピールしようという人もいるそうだ。

ここで最も重視されるのは、やはり安全性。
選手の命にもかかわる。とにかく壊れないように、日ごろ手掛けている自動車や航空機の部品と同じように、細心の注意を払って。
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プロジェクトでは当初、日本代表チームによる採用を目指していた。

やはり国産のもので日本代表として世界と戦いたいという想いがあったからだ。2013年に製作した1号機は、全日本選手権で優勝した。

しかし、競技団体と協力して製作したソチ五輪向けの2号機は、性能を検証する時間がないとして不採用。

あらためてピョンチャン五輪を目指したが、競技団体が招へいした外国人監督は比較テストの結果、ドイツ製ソリを選択した。

そこで
「海外に出ていくしかない」
ということになり、使用してもらえる国を探していたところ、ジャマイカチームが名乗りを上げた。

この決定の背景にはあるストーリーがあった。
プロジェクトメンバーの一人が音楽をやっており、偶然にも日本のレゲエ音楽の第一人者と知り合いだった。

そこでやってみたいという話をしたところ大使館とつないでくれたという。

そんな人と人のつながりが広がり、下町ボブスレーとジャマイカチーム、二人三脚でのオリンピック挑戦が決まった。

「プロジェクト自体に魅力があるだけでなく、人と人とのつながり、みんなの人間性、あきらめない気持ち。これらがジャマイカに使ってもらえるようになった要因なのかな。」
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メダル獲得への挑戦は、町工場とジャマイカチーム双方にメリットがある。

選手にとっては、要望に対するフィードバックがすぐに返ってくるという点だ。

選手はボブスレーマシンと一体となって滑走する。
そのため操縦や乗り込んだ際の感覚に細部までこだわっていく。

しかし大企業では細かい要望などは通りにくかったり、時間がかかったりする。
一方町工場では、職人が一つ一つ手作業で作り上げるため、要望があればすぐにその場で変えられる。このスピード感は大企業と比べて圧倒的に早い。

また町工場にとっては、大田区のものづくりの力を世界へ発信することでビジネスチャンスが広がる。

プロジェクトの内部でも、試行錯誤することでやったことのない技術を身につけられるという成長。

各社の技術を惜しみなく出すことによる町工場同士のつながり、プロジェクトに携わる人たちとのつながりが生まれる。

無償で行っていても自分たちにとってプラスとなることばかりだそうだ。

「何がきっかけでつながりが生まれるかもわからないからこそ、やれることはやっていきたいです。」
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今後の目標はオリンピック出場だ。この5年間で9台ものソリを開発・製作してノウハウを蓄積し、いまや性能は海外のマシンに匹敵している。

それをいかに超えていくか。
ボブスレーを通して大田区の技術を世界にアピールしていく。

そして航空機などの新規産業にも取り組んでいけるようにさらに技術力を上げていく。

結果的に大田区を盛り上げ、事業所数の減少が続く中小製造業を再び活性化したいとも話す。

もちろん日本代表に採用してもらうことも諦めていない。
そのためにジャマイカ仕様と日本仕様の2台を作っている。

「自分たちの技術は自動車の中とか、ものによっては土の中に埋められてしまう製品の中で使われていますから、あまり知られることがないんですよ。その技術を宣伝していきたい。そのための1つの形としてオリンピックに出るっていうのが大事なんです。自分たちが作ったものがオリンピックに出る、メダル争いをするっていうのは、仕事どころじゃなくなっちゃいますけどね。(笑)」
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「日本は資源のない国。だからこそ技術力で世界と戦ってきた。自分が作ったものが日本、世界を支えているんだという魅力。これをボブスレーを通して改めて伝えていきたい。若い人たちにモノづくりに興味を持ってもらえたら嬉しいですね。」

実際モノづくりには苦労が多い。
髙橋さんも最初は先代から会社を継ぐということは考えてもいなかった。

父親の姿を見ていて、大変な部分が多かったから。

技術も全く持っていなかった。
それでも自らやっているうちに上達し、人からも認められるようになり、面白くなってきた。

自分の成長が目に見える。
そして人々を支える。
これがモノづくりの面白さだ。

ボブスレーに関しても同じ。0から始めたが、今では世界と並んでいる。

この偉大な成長力の源、それは「楽しむこと」。

困難さえも楽しんで乗り越えてきた。
人が作るものには人を動かす力がある。職人一人一人の手で作られたものがオリンピックで何万人もの心を動かす。小さな町工場の大きな挑戦はまだまだ続く。
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【 Profile 】
高橋 俊樹
1976年生。東京都大田区出身。
大学卒業後食品メーカー勤務を経て、2001年に家業である金属切削を生業とする有限会社東蒲機器製作所に入社。
3年間の同社新潟工場勤務を経て2004年より本社勤務。
2011年から下町ボブスレーネットワークプロジェクトに参加。
主要メンバーとして加工のほか広報活動にも携わる。
2015年9月より、同社代表取締役社長就任。
2016年4月より(一社)大森工場協会YMクラブ幹事長就任。現在に至る。
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ヤス ヤス